母親が優しい笑顔で我が子に母乳を与えている姿は、最も美しく平和的でそして尊厳がある光景の一つであります。この時,母親の脳,正確には下垂体後葉から多量に分泌されているホルモンがオキシトシンであります。オキシトシンは,分娩時における子宮収縮および授乳時における射乳を促進する作用があることは古くから知られています。これまで授乳の効能については、乳児に対するものが言われてきました。我々は、授乳時分泌されるオキシトシンにより,母親の脳に著しい変化が起こっている可能性があることを、マウスを使った研究で明らかにしました。それは、母親マウスは、バージンマウスに較べて記憶力が良く、それを司っているホルモンがオキシトシンであるということです。2度目の出産後授乳中の雌マウスと,同週齢の出産未経験マウスにおいて8方向放射状迷路を利用して空間学習能力を比較しました。中心の部屋より放射状に伸びる8つのアームの内、4つのアームの端に餌の小片を置き、ダイエットをさせた雌マウスを中心の部屋に入れます。毎日一回このタスクをマウスに与えると、マウスは、徐々にどのアームに餌があるか空間学習をします。この空間学習試験を利用して参照記憶(どのアームに餌があるか記憶すること。長期記憶の一種)と作業記憶(今、どのアームの餌を食べたか記憶すること。短期記憶の一種)について検討したところ、授乳中のマウスでは、出産未経験マウスと比較して、有意に参照記憶の向上が認められました。一方、作業記憶には、両者に有意な差は認められませんでした。また、出産未経験マウスの脳内にオキシトシンを投与すると、有意に参照記憶の向上が認められました(Tomizawa et al., Nature Neurosci 6, 2003)。
またドイツ・レーゲンスブルグ大学のノイマン教授らはオキシトシンに抗不安作用があることを見出しています。現在、そのメカニズムは不明であります。我々は、レーゲンスブルグ大学ならびに岡山大学・細胞生理学との共同研究により、その分子メカニズムの解明を行っていました(参考論文2,3)。本研究により、オキシトシンが抗不安薬として有用であることが示されました。
さらに最近、オキシトシンが生体の糖代謝を制御していることを明らかにしました。オキシトシン受容体が、膵β細胞に豊富に存在し、様々なストレスにより起こる膵β細胞の細胞死を防止していることが明らかになりました。オキシトシン受容体欠損マウスでは、高脂肪食を長期間与えますと、インスリン分泌が悪くなり、血糖値が高くなることが分かりました。オキシトシンが、糖代謝を制御していることを示した成果として、高い評価を得ております。
このように、オキシトシンは古くから見つかっているホルモンですが、様々な新しい生理作用に関する研究を行っています。
【参考論文】
1. Watanabe, S., et al. Oxytocin protects against stress-induced cell death in murine pancreatic beta-cells. Sci. Reports 6, 25185, 2016.
2. Okimoto, N., et al. RGS2 mediates the anxilolytic effect of oxytocin. Brain Res. 1453, 26-33, 2012.
3. Matsushita, H., et al. Antidepressant effect of sildenafil through oxytocin-dependent CREB phosphorylation. Neuroscience 200, 13-18, 2012.